北前船文化とともに育まれた商いの精神

有磯運輸株式会社の源流は、富山県氷見の地に根付いた青野家の歴史にあります。

青野家のルーツには諸説ありますが、当家では愛媛を起源とし、北前船交易の流れとともに能登・氷見へ至った系譜であると伝えられています。

江戸後期から明治にかけ、日本海沿岸では「北前船」による物流網が大きく発展しました。大阪から瀬戸内海を経て日本海を北上し、北海道へ至るこの海上交易は、当時の日本経済を支える一大物流網でした。

氷見の地では、藺製品・藁工品の生産が盛んに行われていました。特に、北海道へ送られる肥料用袋「叺(かます)」は重要な産業であり、

  • 氷見で製造し
  • 北海道へ輸送し
  • 現地で肥料を詰め
  • 本州へ戻す

という循環型物流が成立していました。

この時代、青野家は藺製品・藁工品・米穀肥料卸売業を営み、地域物流の一端を担っていました。

現在も氷見市中心部のみなと川沿いには、当時の面影を残す「青野倉庫(登録有形文化財)」が現存しており、海運物流が地域産業を支えていた歴史を今に伝えています。

時代の変化と、陸上輸送への転換

昭和初期、日本の物流は大きな転換期を迎えます。

それまで主流であった舟運や鉄道輸送に代わり、トラック輸送が急速に普及し始めました。関東大震災後の復興需要を背景に、自動車輸送の有用性が全国で認識され、物流の姿は大きく変化していきます。

そのような時代のなか、後に有磯運輸設立の中心人物となる青野権次は、運送業界へ身を置き、物流の現場経験を積んでいきました。

しかし、時代は戦争へと向かいます。

第二次世界大戦中、国家統制のもとで運送会社は統合され、富山県西部地域の運送事業者も合併。昭和18年、「高岡地方貨物自動車運送株式会社」が設立されました。

青野権次も同社で勤務し、終戦後には氷見営業所長を務めるなど、地域物流の中核を担いました。

戦後、統制経済の終息に伴い会社は地区ごとに再編されますが、物流を支える使命は変わることなく受け継がれていきました。

有磯運輸株式会社 設立

戦後復興とともに、日本の物流は本格的なトラック輸送時代へ移行していきます。

この変化を見据え、藺製品・藁工品・米穀肥料卸売業を営んでいた青野全作は、「これからの時代は、物流そのものを担う会社が必要になる」という強い思いのもと、義理の息子である青野権次に運送会社経営を託しました。

昭和31年8月15日、有磯運輸株式会社設立発起人会を開催。幾度もの免許申請却下を経ながらも挑戦を続け、昭和32年5月28日、普通車4台・小型車2台で事業免許を取得しました。

そして昭和32年6月24日、初代代表取締役に青野全作が就任し、有磯運輸株式会社は正式に創業しました。

創業時の株主は11名。地域の期待と支えのなかで、有磯運輸の歴史は始まりました。

地域産業を支え続ける物流企業として

創業以来、有磯運輸が取り扱う貨物は、時代とともに変化してきました。

藺製品・藁工品から始まり、

  • 油類
  • 紙パルプ
  • 建材
  • 工業用資材

へと取扱分野を広げながら、地域産業を支える物流企業として歩みを続けています。

運ぶ荷物は変わっても、「地域経済を支える重要物資を、安全かつ確実に届ける」という使命は、創業以来変わることはありません。

そして未来へ

北前船の時代から続く物流の精神。河川物流から鉄道輸送へ、そしてトラック輸送へ。

有磯運輸は、時代の変化に適応しながら、地域とともに歩み続けてきました。

そして今、私たちは次の時代へ向け、新たな挑戦を始めています。

これまで培ってきた「実運送」の力を基盤に、有磯運輸は単なる運送会社ではなく、物流を起点とした"総合物流商社"への変革を目指しています。

人口減少や人手不足、デジタル化への対応など、地域企業を取り巻く環境は大きく変化しています。特に地方の中小企業においては、物流・販売・在庫管理・IT活用といった経営課題を単独で解決することが難しい時代となりました。

だからこそ私たちは、「運ぶ会社」の枠を超え、

  • 地域企業のDX推進支援
  • 中小企業向け3PL(物流一括受託)
  • 販売代行支援
  • 受発注・在庫・配送・決済を一体化した物流サービス

など、地域産業を支える新たな仕組みづくりへ取り組んでいます。

単に荷物を届けるだけではなく、「地域企業の商品が、必要な場所へ、継続的に届く仕組みそのもの」を支える存在へ。

それが、これからの有磯運輸の使命です。

かつて北前船が、日本各地の産業と人を結び、日本海経済圏を支えたように。私たちもまた、物流と情報、そして商流をつなぐことで、地域企業の成長と持続可能な地域経済の発展に貢献してまいります。

物流は、社会を止めないための仕事です。

有磯運輸株式会社はこれからも、「運ぶ責任」と「地域を支える使命」を未来へつないでまいります。